DISCOGRAPHY
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SINGLE 蜃気楼
SINGLE '15.4.13 RELEASE
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SINGLE めぐり逢い/Same old story ~男の生き様~
SINGLE '06.9.27 RELEASE
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SINGLE Bailamos ~Tonight we dance~
SINGLE '99.11.17 RELEASE
COMPOSED BY PAUL BARRY/MARK TAYLOR 日本語詞:根津 洋子/編曲:門倉 聡
ポリドール移籍第1弾、通算80枚目。全世界で1500万枚を売り上げた、スペインの人気歌手エンリケ・イグレシアスのカバー曲。エンリケはフリオ・イグレシアスの二男で、'89年に父フリオの曲「33才」もカバーしており、その縁もあって日本でHIDEKIがカバーする事になった。 スパニッシュギターの哀愁ある音色が前面に引き出され、アップテンポでラテン調のリズムに仕上がっている。「バイラモス」とはスペイン語で“踊ろう”という意味で、男と女の愛をテーマに、大人が忘れかけている、とろけるような男くささを、よりセクシーに歌い上げている。 日本語の詞もかなり妖艶なエロティズムの世界をうまく表現しており、ひとつの世界を作り出している。 -
SINGLE ターンAターン
SINGLE '99.5.26 RELEASE
作詞:井荻 麟/作曲:小林 亜星/編曲:矢田 部正
オリコン初登場27位!!アニメ「∀ガンダム」主題歌のこの曲は、'99年2月の劇場版「寺内貫太郎一家」公演の際、小林亜星さんからの熱烈なラヴコールを受けて実現したもの。 お互い本業が音楽家という事で、メーカーの壁を越えスムーズに作業は進んだ。実は本格的な音楽での共演はこれが初めてである。ガンダムのパイロットになりきって作ったという小林亜星さんのメロディーラインに、往年のアニメ作曲家としてのセンスを感じ取った秀樹もガンダムのビデオを借り、予備知識を持ってレコーディングに臨んだ。 ホーメイや女性のスキャットを入れるなどで、時空間的神秘さをうまく表現していたり、ドラムの5連を随所に盛り込み、戦闘シーンのイメージをよりアップさせているサウンドが特徴的。久々に本物のアニメソングが完成した。歌は勿論『秀樹節』の極致である。 -
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SINGLE moment
SINGLE '97.8.6 RELEASE
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SINGLE 愛が止まらない
SINGLE '95.6.7 RELEASE
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SINGLE SAY YEA', JAN-GO/女神が微笑む時
SINGLE '94.2.23 RELEASE
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SINGLE ブーメラン ストレート
SINGLE '92.11.21 RELEASE
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SINGLE 走れ正直者
SINGLE '91.4.21 RELEASE
作詞:さくらももこ 作曲・編曲:織田哲郎
フジテレビ系の人気アニメ『ちびまる子ちゃん』のエンディングテーマ。漫画家さくらももこ のたっての希望で実現した。ジャケットも完璧に70年代の世界をパロディ化したもの。てらいなく"任"をまっとうしたHIDEKIに拍手の嵐。なおこの曲はテレビではフジテレビ系 山田邦子の『邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』でレギュラー陣がコスプレで登場した時のみであった。この年のコンサートでは『FRONTIER ROAD』というタイトルでアルバムの曲や20周年の原点であるロック(ローリング・ストーンズ、ボンジョヴィ)を中心に構成された。また、広島で『アジア音楽祭』を初プロデュース、趙容弼(チョー・ヨンピル)など各国からトップアーチストを招聘した。この頃から衣裳は金川芳子になる。 -
SINGLE Rock Your Fire
SINGLE '91.3.25 RELEASE
作詞:サエキけんぞう 作曲・編曲:織田哲郎
ビーイングの長戸大幸からプロデュースしたいとのオファーを受けロッカー西城秀樹を前面に出したアルバム『MAD DOG』からのシングルカット。織田哲郎は、昔、実家から、もう音楽活動を止めて返って来いといわれてた時があったのだそうだが、NHK『レッツゴーヤング』でHIDEKIが彼の曲をカバーして歌っているのを実家の人が見て「あんな有名な人がお前の曲を歌ってくれるのならもう少しガンバレ」といわれて今があるとレコーディングの時に話したエピソードがある。自分のアルバム制作を途中でストップして楽曲を提供してくれた。ちなみにアルバムの中で「君の男」を提供してくれた当時 ユニコーンの奥田民生はHIDEKIの小学校(尾長小学校)の後輩で、HIDEKIが母校に『明星』の取材で訪れた時、後でピースマークを出して一緒に写ったそうだ。 -
SINGLE SHAKE MY DAY
SINGLE '90.7.21 RELEASE
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SINGLE ONE ~愛する人のために~
SINGLE '88.8.31 RELEASE
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SINGLE 夏の誘惑
SINGLE '88.7.6 RELEASE
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SINGLE 心で聞いたバラード
SINGLE '87.11.21 RELEASE
作詞:上杉伸之助 作曲:濱田金吾 編曲:大谷和夫
グレートバリアリーフでダイビングした映像が全曲英語によるスタンダードアルバム『STRANGERS IN THE NIGHT』とドッキングして『ADVENTURE IN THE REEF』というビデオとレーザーディスクが発売された。スキューバダイビングも5年目に入り何か作品として残したいという意見を取り入れ作られたもので、趣味のカメラで写真集『MY SELF』を出した様に"好きこそものの上手なれ"というように生き生きとしている。しかしダイビングも趣味じゃなく仕事として潜るのはなかなか大変で、この時は30本ほど潜った。 -
SINGLE NEW YORK GIRL
SINGLE '87.5.21 RELEASE
作詞・作曲:H. HEWETT-G. DUKE 編曲:G. DUKE 訳詞:秋元康
ジャケットはハウスジャワカレーで共演した大滝詠一の『ロング・バケーション』のジャケットでお馴染みのイラストレーター永井 博のもの。ロスのジョージ・デュークのプライベートスタジオでレコーディングされた。プロバスケットのマジック・ジョンソンと大親友という彼はとても気さくでグラミー賞の当日までトラックダウンを行ない、受賞後のプライベートパーティーに当時のディレクター岡村右をさそった。HIDEKIは一足先に帰国していたが、このパーティーにはマイケル・ジャクソンやクインシー・ジョーンズやダイアナ・ロスなどそうそうたるメンバーが出席しており、ダイアナ・ロスは東京音楽祭で会ったHIDEKIの事をよく覚えていたそうだ。 この年の夏、琵琶湖で『アジアポップス』が開催されジャッキー・チェン、趙容弼(チョー・ヨンピル)らと出演。打ち上げは朝まで盛り上がった。 -
SINGLE 約束の旅~帰港~
SINGLE '86.12.5 RELEASE
作詞:森田由美 作曲・編曲:後藤次利
NHK朝の連続テレビ小説『都の風』のイメージソング。オファーがあってから制作日数がすくなかったのでアルバムの楽曲をリメイク。タイトルを変更して発売する。コンサートのエンディングに使われていたHIDEKIお気に入りの1曲。また、翌年3月には北京・首都体育館、廣州・中山記念堂ではじめての中国コンサートを開く。廣州のコンサートは児童福祉会館のエレベーターの建設のためのチャリティコンサートでそのエレベーターは“西城号”と命名された。 コンサート終了後、香港で初の主演映画『天使行動(Angel)』に出演。香港での3ケ月間は、ジャッキー・チェン、レスリー・チャン、ジョイ・ウォンなどと友好を深めることはできたが、香港独特の撮影秘密主義に悩まされ、正月から続けていた禁煙をあっさりと断念。ナーバスな日々を過ごした。 -
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SINGLE 腕の中へ~In Search of Love~
SINGLE '85.11.21 RELEASE
作詞:A. RICH 作曲:B. MANILOW-H.RICE 編曲:船山基紀 日本語詞:吉田美奈子
前述、ATTUNEのブライアンとユミのプロモーションのお陰でロスのFM局から「抱きしめてジルバ」が聞けるようになる。あるステーションではワム!のオリジナルよりフィーリングがいいといって頻繁にかけてくれる所もあった。バリー・マニロウもFMでこれを聞いて最初ジョージ・マイケルが日本語でカバーしたのかと思ったらしい。ところがHIDEKIだったという事を聞いたのと日本からバリーに作曲のオファーがあったのと同時期だったので、人見知りで有名な彼がOKを出したという事だった。当初コーラスの部分だけ英語なのでバリーに参加してほしいとオファーしたらバリーの方から難しいのを承知で日本語でトライさせてくれとの申し出があった。本人から直接聞いた時には驚かされたが、マネージャーのゲーリー・キーフも権利の問題など後回しでとにかく日本とアメリカのトップアーチストが乗って仕事をしているのだから良いものを作るのが先決と柔軟に対応してくれた。 『夜のヒットスタジオ』での共演の振付けは音合せが終わった後2人の楽屋で即興で考えられたもの。 -
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SINGLE ミスティブルー
SINGLE '85.5.9 RELEASE
作詞:森田由美 作曲:岡本 朗 編曲:萩田光雄
コーセー化粧品のイメージソング。ヘアーメイクは夏井忠男。SFX特殊メイクで自分の老後に変身。デスマスクならぬライフマスクを石膏で製作、特殊ラバーで型から雛形を起こし製作に約1週間かけて作られた。特殊メイクアーチストは後に劇団四季の『キャッツ』など手掛ける山田 操が携わっていた。また、HIDEKIと同じ顔のお面(この石膏から作られたかなり精巧なもの)を付けたダンサーが登場するこの夏の『MISTY TOUR』は日本ばかりでなく香港・シンガポールでも話題になった。いち早くイヤーカフをしているレコードジャケットの色彩感覚がモノトーン調の前2作とは異なっている。髪の毛にもカラーメッシュが…。プロモーションビデオは堤 幸彦の演出で都内各所と浜松の砂丘まで行って2日がかりで撮影、編集には3日ぶっ続けで行なわれた。 -
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SINGLE 背中からI LOVE YOU
SINGLE '84.7.5 RELEASE
作詞:売野雅勇 作曲・編曲:後藤次利
カップリングの「パシフィック」をカットしたかったが病気明けでバラードというのは…、という事で"タキシードでロックを"というテーマでこの曲を選んだ。ブレイクダンス風な振付けが印象的。プロモーションビデオもミラージュやADOという3次元のエフェクターを使用。最新の映像処理が施されている。ファンクラブ400人とハワイツアーを行なう。 八ケ岳で合宿し20代最後のコンサートツアー『JUST RUN』を行なう。コンピューターサウンドをコンサートにも使う。オーバーハイムのリズムボックスやシモンズやローランドのMC-4など。照明もレーザー光線、音響もターボサウンドのスピーカーと当時のハイテクを駆使したステージで『スター・ウォーズ』の様と評価される。 -
SINGLE DO YOU KNOW
SINGLE '84.1.25 RELEASE
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SINGLE ナイト・ゲーム(NIGHT GAMES)
SINGLE '83.6.1 RELEASE
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SINGLE ギャランドゥ
SINGLE '83.2.1 RELEASE
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SINGLE 南十字星
SINGLE '82.3.25 RELEASE
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SINGLE センチメンタル・ガール
SINGLE '81.9.5 RELEASE
作詞:あまがいりゅうじ 作曲:鈴木キサブロー 編曲:若草 恵
代々木公園にてジャケットを撮影。この頃お気に入りのジーンズはヴィダル・サッスーンやカルバン・クライン。9月12日~14日まで香港で初めてのコンサートを伊利沙泊体育館(クイーンエリザベスホール)でひらいた。5月にゲスト出演した亜細亜テレビ『香港音楽祭』の視聴率が90%を越えたため一躍トップスターになる。新聞の形容詞もそれまでの"赤旗星(スーパースター)"から"天皇巨星(超スーパースター)"へと表記が変わった。香港でプラチナディスクを獲得し、その人気はファンクラブが出来、親衛隊が日本にまで応援に来るほどであった。なおファンクラブは現在も健在。当時の副会長に後に香港を代表するスターになったアニタ・ムイがいた。 -
SINGLE セクシーガール
SINGLE '81.6.21 RELEASE
作詞・作曲:横浜銀蝿 編曲:若草 恵
沖縄ムーンビーチで行なわれた『BIG SUNSHINE '81』と銘打った同曲の新曲発表を兼ねたコンサートでは海からジェットスキーに乗って登場した。衣裳は、上はウエットスーツのベストにHIDEKIのネーム入りで黒のビキニの水着に金の葉っぱの刺繍をあしらったタイトル通りセクシーなデザインだった。また、この楽曲でシングルレコードのセールスをトータルで1,000万枚を突破した。日本ビクターの大和工場で自らプレスした。実は、この工場を訪れたのは2度目で、前回は「ヤングマン」の時で、緊急発売という事で発売日までに間に合うよう残業して下さる様お願いを兼ねて訪れ工場の方々の前で歌った。『BIG GAME '81』の衣裳は山本寛斎デザインによるもの。背中に刺繍のついた銀色のジャンプスーツが印象的。JACがゲストでスタントシーンやプロパンガスを1tも使った"炎"のカーテンも。 -
SINGLE リトルガール
SINGLE '81.3.21 RELEASE
作詞:竜 真知子 作曲・編曲:水谷公生
10周年という事でトータルプロデューサーに伊集院 静を迎える。「変身元年」というテーマでレコードジャケットは四谷スタジオで7~8時間かけて伊集院氏立合いのもと行なわれた。これまでリリースしたシングルの内30曲がベスト10入りという驚異の記録をマークした記念作品となった。ポップスとロックンロールをあわせた「ポップンロール」という造語で以降の3作品は後にガールシリーズと呼ばれる。また歌以外の活動では、ドラマで緒方 拳と共演したり(NTV系『青年・さらば愛しき日々よ』)、NTV『モーニングサラダ』の司会をしたりと芸能活動の範囲をひろげた。『モーニン~』は伊藤つかさ、とんねるず、財前直美などを輩出。スタッフには宮下康仁、堤 幸彦、秋元康などがいた。 -
SINGLE 眠れぬ夜
SINGLE '80.12.16 RELEASE
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SINGLE エンドレス・サマー
SINGLE '80.7.21 RELEASE
作詞:岡田富美子 作曲:水谷公生 編曲:船山基紀
完成したばかりの新宿アルタのベランダでキャンペーンを行ないアルタ前の歩道や広場がファン1万人(新宿警察発表)以上の人で埋めつくされた。歌衣裳はメロウピンクとライトブルーの中間色のビニール生地のパンツ2種で上衣は白の網に貝殻などのアクセサリーが付いていた。冷夏といわれた夏で後楽園球場や大阪球場のコンサートを含め雨に祟られる事が多く晴天祈願のためヒゲをのばす。ちなみに、球場コンサートのオープニングはスペース・イーグルにまたがり「Eyes of the World」を歌いながら宇宙服のようなファッションで登場。途中で空中ブランコに乗るシーンは、白、グリーン、濃いピンクの三色のタイツの衣裳とともに印象的であった。 -
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SINGLE 愛の園 (AI NO SONO)
SINGLE '80.3.21 RELEASE
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SINGLE YOUNG MAN (Y.M.C.A.)
SINGLE '79.2.21 RELEASE
作詞・作曲:J.MORALI-V.WILLIS-H.BELOLO 編曲:大谷和夫 訳詞:あまがいりゅうじ
レコードジャケットはロサンジェルス・センチュリーシ ティでのスナップ。緊急発売だったため撮影の時間がなかったので有り物の中から選んだ。歌衣裳は武藤ネコによるおなじみの星条旗のデザイン。同じ衣裳が4ポーズあるのだが、最初は手染で星とストライプを染めた物であった。レコーディングでの手拍子はスタジオにファンクラブの人達を招いて行なわれたが、テレビでのハンドクラップは当初ハンドクラッパーといわれるパーカッション系のクラップマシンを使っていたが、後にローランドTR-808というリズムコンポーザーを使用した。これも日本で初めて使用された。以降、ピンクレディ、海援隊など多くのアーティストが手拍子を録音する時にこのマシンが使用される様になる。 -
SINGLE 遥かなる恋人へ
SINGLE '78.11.25 RELEASE
作詞:竜 真知子 作曲・編曲:馬飼野康二
詞を発注する時に「木綿のハンカチーフ」のアンサーソングのような気持ちで…といってお願いした。詞も曲も素敵に仕上がった。HIDEKIの声の甘さを出すためにサビの部分をダブルにした。心地好い仕上りになっている。間奏のギターは芳野藤丸の演奏、ただしオブリは馬飼野さんの"書き譜"だったそうだ。また、毎年11月初旬に行なわれる恒例の武道館リサイタルでは初めて、それまでの円形ステージから北面に舞台を作った。内容も1部は「永遠の愛7章」というタイトルで一人芝居仕立の演出だった。コンサートで歌った事のないニューミュージック系の楽曲を取入れた。 -
SINGLE ブルースカイ ブルー
SINGLE '78.8.25 RELEASE
作詞:阿久 悠 作曲・編曲:馬飼野康二
好青年というイメージが定着。合歓の里で合宿後ツアーへ。アラジンのようなパンツに鉢巻き姿というのは原宿の竹の子族の影響だろうか。'81年初めて香港でコンサートを行なった打ち上げの食事で訪れたレストランでHIDEKIを見つけたピアノマンがこの曲で迎えてくれた。現在でも歌っている西城秀樹のスタンダードナンバーのひとつ。 球場コンサートは東京後楽園でも行なわれる。東京雨。ステージの一部が15mの高さに上がるリフト登場。毎回タイトルが変わっていたが、この年から『BIG GAME』と呼ばれるようになる。"大きな遊び"という直訳の他に"大漁"という意味もある。 -
SINGLE 炎
SINGLE '78.5.25 RELEASE
作詞:阿久 悠 作曲・編曲:馬飼野康二
ジャケットで手にしている氷のハイヒールは3足(?) 用意した。赤坂のアマンドのシェフに削ってもらったもの。溶けない様にすばやく撮影されたが指の感覚が暫くなくなりヒールも二つに折れてしまった。歌衣裳は金色の網と黄色の衣裳でサッシュベルト上に金色の紐をしていた。楽曲的には、当初大野克夫の作曲で「ブーツ~」の延長路線上のメロウでアダルティな曲に仕上がったのだが、TBS『東京音楽祭』に出場するために従来の'動'の部分を強調したかったため馬飼野さんに発注しなおした。詞はすでに登録されていたため同じ詞で2曲誕生したのだが大野さんのそれは世に出る事なくお蔵入りとなってしまった。 -
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SINGLE ボタンを外せ
SINGLE '77.9.5 RELEASE
作詞:阿久 悠 作曲・編曲:三木たかし
レコードジャケット撮影は現在の様にCG加工などなかったのでホリゾントに黒いテープを貼り影が出ないように苦心した。白いタキシードのベストだけ作った。歌衣裳は黒のツイードのスーツに星の刺繍が入ったベスト、ハンチング帽子といった具合。 この頃の行きつけの店といえば、洋服では六本木のJUN、原宿のミルクボーイ、食事では飯倉のイタ飯キャンティ、乃木坂のステーキハウスHAMA、赤坂のオリムピック、そして千駄ケ谷の広島風お好み焼 おたふく、四谷の焼肉ギャルソン、河豚の山田屋、ディスコでは赤坂の無限やビブロスから六本木のスクェアビルのギゼやレキシントンクイーンへと移った時代だった。変わった所では六本木の飯倉よりのホットコロッケでラテンミュージックを楽しんだりした。阿久さんの通いつけの赤坂のパピヨンにも打ち合せを兼ねてよく顔を出していた。 -
SINGLE セクシーロックンローラー
SINGLE '77.6.5 RELEASE
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SINGLE ジャガー
SINGLE '76.6.5 RELEASE
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SINGLE 恋の暴走
SINGLE '75.5.25 RELEASE
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SINGLE 涙と友情
SINGLE '74.11.25 RELEASE
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SINGLE 激しい恋
SINGLE '74.5.25 RELEASE
作詞:安井かずみ 作曲・編曲:馬飼野康二
六本木スタジオで撮影された。カメラは武藤 義、衣裳は武藤ネコカリプソスタイルで下はホワイトジーンズをバミューダパンツ風にカットしたものをはいている。撮影では使われなかったが、麦わら帽子まで用意されていた。歌番組では女性ダンサーグループ クルクルをバックに従えて歌った。TBS『火曜歌謡ビッグマッチ』で新御三家が初共演、衣裳、歌う順番など各マネージャー立合いの下で決められた。また、この年は歌だけではなく、TBS『寺内貫太郎一家』、松竹映画『愛と誠』で映画初主演と活躍。日本で初めての球場ワンマンコンサートが大阪球場でおこなわれる。ヨット型のステージ。ナナハンのオートバイ30台を引き連れての登場。 -
SINGLE 薔薇の鎖
SINGLE '74.2.25 RELEASE
作詞:斉藤優子(原案)・たかたかし 作曲:鈴木邦彦 編曲:馬飼野康二
雑誌『平凡』で詞を募集。スタッフは1週間徹夜で選考しなければならない程の応募数で大変であった。ジャケット写真はエナメルのパンツをはいていた。胸のネックレスなどのアクセサリーなどでセクシーさを表現。歌謡界初のマイクスタンドアクションは当時 スパイダースのかまやつひろしといっしょにロッド・スチュアートのステージを見に行き研究。アルミニウム製の軽量スタンドを特注。また、NET(現在のテレビ朝日)『ベスト30歌謡曲』でマネージャー対抗歌合戦というコーナーがあり当時現場のマネージャーだった富士原光男が出場し、「~この世の幸せ」という所を「~あの世の幸せ」と歌い爆笑をさそった。 -
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